目に見えない大切なもの
僕らは外界の情報の半分以上を視覚から得ています。つまり多くの場合、目に見えている事実から判断して行動しているということですね。ただ、そんな生活の中でも「目に見えない大切なもの」ってあるように思うのです(内容に病院勤務時代のエピソードが含まれています)。
「たいせつなことはね、目に見えないんだよ」
サン・テグジュペリ著、星の王子さま」の一説です。実はこの数日、この言葉が気になっているのですけれども、なかなかそれが言葉にできない・・。きっと何か自分の心の中に、この言葉が引っ掛かることがあるのだと思うのです。
きっかけは太田先生の主催した「心のシンポジウム」に参加したことでした。そして、その時の太田先生の活動の様子を見て思い浮かんだ言葉だったのです。・・・・・・
「たいせつなことはね、目に見えないんだよ」
そう、それはALS(筋萎縮性側索硬化症)という神経難病に罹患し、今は眼球しか動かせなくなっている太田先生が、その状況であっても、信念を持ち精力的に活動されている様子を見てそう感じたのです(その人の外見からだけではその人の意思は分からない。そして行動を見れば、その人の意思は理解できる。ただしその人の真の意志(こころざし)を知りたいと思うのであれば、それは目でみるものではなく心で感じるものなのかもしれない)。ただ、このモヤモヤした気持ちはそれだけのことではないように思えて、少し考えてみたところ、ある患者さんとのエピソードが浮かんできました。
70歳代の女性で、肺に重い病気を患っていた方です。薬の治療を続けているものの、病気が進行してきて脳に病気が移ってきたので、僕の病院で2泊3日の放射線治療を受けることになったのです。もう3年前になりますけれども、入院後に初めて診察室でお会いしたときの印象を今でも良く覚えています。ご病気の影響で、腰痛があるため長い距離が歩けなく車いすに乗っておりました。その車いすをご主人が押しながら2人で一緒に診察室に入ってこられたのです。
10分ほど、ご病気のこと、翌日の放射線治療のことなどを話しながら、その患者さんの穏やかな口調や柔和な表情を見ているうちに、その患者さんから、まるで、波風がなく、陽の光が柔らかく降り注ぐ、静かな湖面のような心持ちであることを感じたのです(多くの患者さんは病気のことが心配だったり、病気が受け入れられなくて無関心だったり、どこか落ち着かないところがあるのですね)。
「どのようなことをしたら、そのような雰囲気に至るのか」
「どのようにご自分の重い病気のことを受け止めて、それを受け容れてきたのか」
どうしてもそのことが気なってしまい、その日の診療が終わった後に、18時ころかな、患者さんのお部屋に伺ったのです。その時に、ベッドサイドに小さな小瓶が3つほど並んでいるのが目に留まり、それがアロマオイルだということが分かりました。
「こんばんは、○○さん。明日の治療のことで何か気になることや、心配なことはありますか」
「いえ、特にありません。先生にお任せするだけですよ」
「そうですか、分かりました。明日は一緒に頑張りましょうね。ところで○○さんはアロマをされるのですね。この辺りはいい匂いがしますものね。僕も夜寝るときにアロマを炊いて寝たりするんですよ。」
「そうなの、先生。私ねアロマが好きで、ずっと習ってきたのよ。ただ病院だとね、周りの患者さんのこともあるから、ハンカチにアロマオイルを垂らして、枕元とか口元に置いて寝るようにしているのよ。そうすると気分がとっても落ち着くの。」
「そうなんですね。それならすこしアロマのことを伺っても良いですか。例えばゆっくり眠りたいときなどは、どんなアロマオイルを使ったらよいのですか。」
「やっぱり、ラベンダーかな。神経の興奮を収める作用があるのね。あとはウッディな香りもいいかもね。自然の香りって落ち着くでしょ」
そんな話を続けながら、この患者さんの穏やかな心はアロマセラピーが創り出しているのかな、なんて思い浮かべていました。でも、それは患者さんに聞いてみないと分かりませんので、このように質問してみたのです。
「○○さん、ひとつ伺ってみたいことがあるのですけれども、良いですか」
「ええ、いいですよ」
「今日、初めてお会いしたのですけれども、○○さんの雰囲気がとても穏やかで落ち着いているように見えます。ただ、○○さんは、重い病気があって、今、それを治療していますね。そのような状況であっても、穏やかな心境でいられるのは何か工夫をされているのですか」
その患者さんはこのように答えてくれました。
「そうね、先生。たしかに私は先生がおっしゃるように穏やかに過ごしたいなって思っているの。でもね、人間だからいつもそうではいられないのよね。やっぱり病気のことで不安になったり、ちょっとした家族の言葉にイライラしたりしちゃうのよね。でもね、そんなときはアロマをやってね、気分を落ち付かせているの。アロマの香りをね、ゆっくり深呼吸しながら嗅いでいると、落ち着いてくるの。だんだんいい気持ちになってきて、こころが整ってくるの。アロマの力って凄いのよ。目に見えないけれどね。」
「なるほど、そうだったのですね。アロマでこころを落ち着かせているなんて、素敵ですね。香りの力ってすごいですね。」
「そうなの、先生。今度、アロマの本持ってきてあげるね」
「ありがとうございます」
「ところでね、先生。私、本当はもう治療したくないの。」
「えっ、そうなんですか。」
「そうなのよ、先生。もう自分が長くないことは分かっているから、これ以上はいいかなって思っているの。でもね、主人が頑張ってほしいっていうから、その気持ちに応えたくて続けているの。」
初めてでした。そのような患者さんの気持ちを聞いたのは。
「大切な人の気持ちに応えたいから、病気の治療を続ける。」
僕の考えの中に、それはありませんでした。病気の治療は、あくまでも自分の命のためであって(場合によっては自分と家族のためであるのかもしれませんけれども)、自分は望まないのだけれども、家族が希望しているから治療を受けるとは、とても新鮮でしたし、それを話しながら穏やかな表情をされている患者さんを見て、こころからそれを欲しているんだなと感じました。
「たいせつなことはね、目に見えないんだよ」
なぜ、この言葉と、この患者さんとのエピソードがリンクしたのか、まだ上手く言語化出来ない自分がいます。
ただ、星の王子さまにはこんな言葉もあります。
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。」
それは 「患者さんの想い」 「たいせつな人の想い」 「自分の想い」
本当の想いとは目に見えないもの。 なのかもしれません。
そしてもしかすると、それは人だけではなくて、ペットの想いとか、自然の想いとか、もともと意思疎通ができないものも含まれているのかもしれません。
「心で見る」
これからの僕にとって、新しいキーワードになりそうです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。