「にんげんだもの」

「人生の最後の時間を過ごすとしたらどんな病院がよいだろう」 この質問にみなさんは、どう答えますか? いやいや病院ではなく在宅でしょうとお考えでしょうけれども、少し考えてみてください。例えば最新設備の整った大きな大学病院でしょうか。それとも住んでいる街の市民病院でしょうか。それとも地元の小さな個人病院でしょうか。父の入院をきっかけにふと思いついたことを紹介します(このブログは僕が病院勤務をしていてときに書いたものです)。


『自分が人生の最後の時間を過ごすとしたらどんな病院がよいだろう』

この半年間で父が2回入院して手術を受けました(腰部脊柱管狭窄症と眼瞼下垂です)。
それぞれ違う病院でしたのでお見舞いにいきながらそんなことを考えていました。

1つ目の病院は大きな総合病院で(ベッド数400床)、4年前に移転して新しく建て替えられた病院でした。 
この病院で父は腰部脊柱管狭窄症の手術を受けました(1週間の入院期間で無事に退院して、すっかり元気に歩けるようになりました)。
そして、この病院の印象は、やはり新しい大きな総合病院だけあって「きれいだな~ 明るいな~」でした。 エントランスは天井が高く、自然な光が入り込みとても明るい広々とした構造になっていて、病棟や外来の廊下の壁は淡い白を基調としていて、やさしい雰囲気の絵画がたくさん飾られていたり、場所によっては壁が木目調であったり、緑の葉を付けた大きな木や可愛らしい鳥や動物が描かれていたり、安らぎと癒しをテーマとしているように感じました。

2つ目の病院は地方の中核都市の入院病棟を備えた小規模の個人病院(50床)で開院して25年ほど経っています。
この病院で父は眼瞼下垂の手術を受けました。この病院の印象は個人病院で規模がやや小さいこともあって、廊下は少し狭く、壁は白く単調な色合いでところどころに年代を感じさせるシミがあり、入院した個室も清潔感はあるものの、やや手狭なつくりと、単調な色調で何か寂しさを感じてしまうところもありました。

ちなみに私が勤務しているのはこれらの病院の中間くらいの規模(200床)で開院して20年になる公立病院です。

そして勤務先の病院も含め自分が入院したと想像して 「どこが気分よく過ごせるだろうと」と考えを巡らせたのです。

できれば入院するなら 『 明るく、清潔感があって、広々として、窓からの眺めが良くて、食事が美味しくて、優しいスタッフで・・・』 などがいいな。そして、これらが当てはまるのはどこかな・・・。と思っているうちに気づいたのです。

もしかして最後に一人で過ごすのならば、どこでも同じかもしれない。 そして、僕はそんな外側の条件(外的要因)ではなく、内側(こころ)のことがもっともっと大切なのかもしれないと思ったのです。

『安心感、 穏やか、 癒し、 幸福感』

これらを感じながら人生の最後の時間を過ごしたいと。

そしてこれらの大切なものは、決して「きれいで、明るく、便利で、快適な」病室から得られるものではなく、 やはり
『家族』 や 『友人』 場合によっては『病院のスタッフ』かもしれませんが、ひとから得られるものだろうと思ったのです。

そして、ふと人間という漢字が浮かんだのです。 「ひとのあいだ」と書きます。 

人と人の間で「こえをかけてふれ合って、こころがつながって、お互いを感じとって」  それで人から人間になります。

そう思うとわたしたちは人生の最後の時間を大切なひとと 『安心して、穏やかに』 過ごしたいと思ってしまうものなのかもしれません。そして、そのような大切な最後の時間を患者さんとこころを通わせながら一緒に過ごしていけるようになりたいと思っているのです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。 


僕はこのブログを2018年12月に書いていました。その当時は緩和ケアに興味があったものの、自分がそれを在宅医療で実践するようになるとは思ってもいませんでした。ただこのブログに書いたような想いが自分の中にあって、それが今の自分の姿に導いてくれたのかもしれません。そう思うと自分の中に秘めた想いはいずれ現実化されるのかもしれませんね。
みなさんにもそのような想いはありませんか。